樹木希林と向田邦子作品が母とぼくをつないでくれた。
【隔週木曜日更新】連載「母への詫び状」第二十六回
■母が手に取った、向田邦子さんの『父の詫び状』
話は30年以上、さかのぼる。ぼくが大学生の頃。東京のひとり暮らしのアパートを、母が訪ねてきたことがあった。
そのとき本棚に目をやった母が、ひとりの作家の名前に目を留めた。
「あら、この人、見たことある名前だね。テレビのシナリオの人だかと思ったけど、本も出してるのかね?」
本棚から母が手に取ったのは、向田邦子『父の詫び状』だった。
「あ、向田邦子さん? そうそう、本業はドラマのシナリオを書いている人。この人のエッセイが好きで、最近、読んでいるんだ」
「やっぱり、そうかね。なんかのドラマで見たことある名前だと思って」
「あれじゃないかな、『東芝日曜劇場』。おかあちゃんの見てるドラマなんて、日曜劇場くらいしかないだろ」
「ああ、そうかも知れんね」
ぼくが子供の頃、夕暮家にはテレビに関するルールがひとつだけあった。
日曜の夜9時。この時間帯だけは母にチャンネル権があり、1週間のうち唯一、母がのんびりとテレビを見る時間。そう決まっていた。
朝は食事を作って子供たちを送り出し、あわただしく後片付けをして自分も出かけるから、朝ドラを見ている余裕などない。夜は子供たちやおばあちゃんにチャンネル権があり、たまに父も晩酌しながらプロ野球を見るから、母まで回ってこない。
母は読書家で、テレビより本の好きな人だったから、週に1度、ホームドラマを楽しむ程度で十分だったのだろう。それが日曜の夜9時に放送されていた、TBS系の『東芝日曜劇場』だった。
1970年代、向田邦子さんはこの枠にときどき単発ドラマを書いていた。だからテレビに疎い母も、名前を知っていたのだ。
そのときの会話はそれで終わった。